スワヒリ娘のダル大留学奮闘記〜タンザニア人と“rafiki”になりたい!〜

スワヒリ語を学んでいる女子大生がタンザニアのダルエスサラーム大学に留学。リアルなタンザニアライフを綴る留学奮闘記。

キベラスラムツアーに参加しました

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こんにちは!ルナです!

 

旅3日目の今日は、キベラスラムツアーに参加してきました。キベラスラムは、ケニアのナイロビにあるアフリカ最大規模のスラムの1つとされるスラム。

 

まず、そもそもスラムって何でしょう?

 

スラム(英: Slum)とは、都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことであり、都市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられないなど、居住者やコミュニティの健康や安全、道徳が脅かされている荒廃した状況を指す。 世界中のほとんどの大都市にスラムがある。(Wikipediaより)

 

 

ポイントは「都市部にいる極貧層」。ビルが立ち並ぶナイロビの街からバスで20分ほどの距離にこの巨大なキベラスラムがあります。

 

私は今回、ダルエスサラームから合流した学生の友達2人と一緒にNew Kenya Loddge で申し込めるツアーに参加しました(一人2000ksh、2200円)。

 

ここから私がツアーを通して感じたことを写真等を使って書いていきますが、ツアーを通して見られるものなんて彼らの生活の表面的なほんの一部でしかありません。それを踏まえた上で、一大学生の感想として読んでいただければと思います。

 

このツアーに同行してくれるのは、ジェフとボンケという二人のお兄ちゃん。ボンケはまだ17歳ですが、彼はキベラスラムの出身でもう何度もツアーのアテンドをしているそう。New Kenya Loddgeからバスを乗り継ぎ、キベラスラムへと向かいます。

 

ジェフ「ここからがキベラスラムだ。」

 

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まずは、キベラスラムのゴミが捨てられているエリアを歩きます。ここがビジュアル的には一番衝撃的なところ。


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ゴミを捨てるための特定の場所がなく、みんなここに無造作に捨てていくのだそう。ゴミ特有のくさいにおいが鼻をさすように臭ってきます。

 

朝9時ごろだったからか人気はあまりありませんでしたが、ゴミの中からお金になるようなものを拾っているおじさんがいたりもしました。

 

次に坂になっているところを下り、人々が暮らしているエリアへ。途中、ラクダや牛の骨を使ってアクセサリーを作っている工房にお邪魔しました。

 

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ここのアクセサリー、安くてセンスいいのでおススメです。

 

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坂を下っていきますが、足場が悪く、泥なので結構汚れます。


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家は、 こんな感じのだったり、


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土とセメントをまぜて作られているものだったり。

 

電気は一応電線が通っているのですが、もちろん停電もするでしょうし、手作りみたいな状態なので、線が絡まっていたりして危ないなという印象でした。

 

スラムを見て回っていて、一番生活が大変そうだなと思ったのが、先程のゴミ問題と、水問題です。


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スラムには左下のように端から端までホースが通っており、水が通っています。しかし、各家庭に水が通っているわけではなく、エリア毎に共同で使う感じ。

 

川に下水が垂れ流しになるため、色はどす黒く、生活に使えるようなものではありません。トイレの設備も整っていないようで、

 

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これは家の屋根にスワヒリ語で「警告!ここでオシッコするな!」と書かれていたもの。坂になっているので、屋根にオシッコしてしまう人が大人子供問わずいるらしい。


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アフリカ最大規模のスラム。これ見渡す限り全部スラムです。


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私がイメージしていたスラムと少し違ったのは、スラム内に小学校や市場が存在すること。ただ家々が並ぶというよりは、スラム内に1つの社会が成立しているように見えました。

 

人が写っている写真はほとんど撮っていないのですが、小学生たちは自己負担で購入した綺麗めの制服を着ていたし、大人たちの服も個人差はありますが、みんながみんなボロボロな服というわけでもなかったです。

 

ここまでがツアーで見られる大体の光景。

 

うーん、なんか伝わっていない気がします、、

 

なぜか。

 

人々が写っている写真がほとんどないからです。イメージしづらいですよね。キベラスラムツアーに参加するにあたり、やはり葛藤がありました。

 

観光客である私たちが、スラムで暮らす人々をツアーで見に行く。ちょっと「異様」ですよね。

 

スラムで暮らす人々はこういったツアーがあることをどのように感じているのだろう?スラムに向かうバスでスラム出身ガイドのボンケとこんな会話がありました。

 

私「スラムの人たちは、このツアーのことをどう思っているの?」

 

ボンケ「彼らはこういった観光客が来ることに慣れているよ。みんなを歓迎しているんだ。」

 

私「ボンケが子供の頃もこういうツアーはあったの?その時はどう思ってた?」

 

ボンケ「あったよ。歓迎してたさ。」

 

私「うーん、そうか。」

 

彼は最初こう言ってくれましたが、私が歩いていて感じた空気感は「歓迎」とは言えないものだったと思います。

 

彼らは、ガイドが付いているからか私たちに物乞いをしてきません。私には「また来てるのか」ぐらいで、特に大人たちは無関心に近いものを感じました。

 

他のブログ等でキベラスラムに行った人が子供の写真をたくさんあげているのを見ましたが、それもあの状況ではものすごく違和感のある行為で、子供だからと人にカメラを向けるのはかなりためらわれる行為でした。

 

ツアーの終盤、私はもう一度ボンケに同じ質問をしました。

 

私「彼らは本当に歓迎してるのかな?こういうツアーが行われることに反対してる人はいないの?」

 

ボンケ「反対してる人はいないよ。彼らは認めてる。でも、写真を撮られるのを嫌がる人や、写真を撮るなら「何か」を要求してくる人が多いね。」

 

彼は歓迎という言葉は使いませんでした。

 

このツアーを回るとき、私は極力フラットな目線で彼らを見ることを心がけました。「可哀想な貧しい人たち」と思えば、やはりそう見えてくるし、「意外と普通に暮らしてるとか、貧困の中でも力強く生きてる」と思えば、やはりそう見えてきてしまう。

 

現状を知ることもそうですが、やはり、彼らの心に思いを馳せたかった。自分の現状をどんな風に捉えていて、私たちのことをどう思っていて、どんな風に未来が見えているのか、見えていないのか。

 

8ヶ月間、隣国タンザニアで暮らし、水や電気の不便を経験し、現地の人と同じご飯を食べてきた「私」だから感じられることがあるのではないかと、思っていました。

 

でも、、正直よく分からなかったです。彼らにとって私はやはりただの観光客で、私が見たものは観光客として見たもので、てくてくスラムを歩くだけでは、見えるものがあまりにも少なく、彼らの状況を理解するにはあまりにも材料が少なかった。

 

スワヒリ語が話せるからどうこうなんてことは一ミリもなかった。

 

では、ツアーに参加する意味とは何か。ツアーの参加費の一部は寄付金になるようですが、そんなのは微々たるもので大きな変化にはならないでしょう。彼らの現状を少しでも知ることで、問題を解決しようとか、一緒に何かを始めようと思う人が出てくることでしょうか?

 

モヤモヤーっとするのです。発展しているナイロビをたくさん見たからこそ、スラムで暮らす極貧層の彼らの存在も絶対に忘れてはいけない。でも、自分がどうしたらいいのか、何ができるのか、どんなことを日本の人に伝えればいいのかわからない。

 

この記事を書くにあたり色々考えましたが、やっぱりわからないので、わからないのままこの記事は終わりです。なんかごめんなさい。

 

では。