日本に帰ります!!
こんにちは!ルナです!
タンザニア生活10ヶ月半を終え、私ついに日本に帰国します!!はぁ、もう10ヶ月半も経ってしまったのですね、、
今日の夕方のフライトなので、朝のうちに今の気持ちを文章にしておこうと思います。
ずばり!今の私の感情は、タンザニア留学直前の日本にいた時の私と同じ気持ちです。
とにかく不安と緊張がすごい。
え?日本に帰るのに何で不安なの?って思いますよね。
皆さんは「逆カルチャーショック」という言葉を知っていますか?
外国の文化に触れ、それに馴染んでしまったことにより、母国の文化や環境に、強い違和感や心理的衝撃を受けてしまうこと。
10ヶ月半も離れていると、たとえ自分の生まれた国であるとしても、タンザニアの生活に適応してしまった私にとっては、新しい文化の国に行くような気分がしているのです。
実際、タンザニアにいる日本人の方々に聞いていても、タンザニアで長期滞在して初めて日本に帰った時は、しばらくフワフワした感じで周りから浮いていたと思うというお話をたくさん聞きました。
この逆カルチャーショック現象について知ってしまった私は、日本に帰って逆カルチャーショックを受ける自分を想像して不安と緊張が止まらないのです。笑
今の私はちゃんと日本の感じに溶け込めるだろうか?息苦しさを感じないだろうか?浮いたりしないかな?
ぐわぁぁ無理な気がするぅぅぅう
あとはこの気持ちや私のタンザニアでの経験に「共感」してくれる人が周りにいないこともものすごく不安です。
タンザニアにいるときはタンザニアでの話を共有できる人が周りにいたけど、日本に帰ったらほとんどいない、、
「わかる〜!」じゃなくて「へぇ〜、すごいねぇ〜」って返事しか返ってこない、、
日本に帰った自分を想像すればするほど不安と緊張が収まらないわけです。まぁ悪い方に悪い方に想像しちゃってるだけと言えばそうなんですが、、
こういうときは必死でお寿司や牛丼や温泉やカラオケを想像します、、
日本楽しい日本楽しい日本楽しい
にしても自分が日本に帰るのやだなぁって思う日が来るとは思っていませんでしたね。
楽しそうに見えてたかもしれないけど、ずーっと帰りたい帰りたいって言ってたのに。笑
そんだけタンザニアが好きになったってことなのかな!笑笑
帰ってしばらくしたら逆カルチャーショックについてもブログを書こうと思います!(どんどん終わりが先延ばしになっていく、、)
では!アサンテ!タンザニア!
帰ってくる予定は特にないけど、なんか運命的に引き戻されるような予感がしてるよ!
10ヶ月間タンザニアで暮らした女子大生が「中国人」と呼ばれて考えたこと。
中国の援助によって建てられたダルエスサラーム大学の新図書館
Mambo!
こんにちは!ルナです!
今回は約半年前に私が書いた中国人差別に関する記事の完成版です。半年前の私の記事を読みたいという方は、こちらへ。
それでは、タンザニアに来てから私が向き合ってきた「差別」についてお話ししたいと思います。
このテーマを文章にするのは、ものすごく難しいです。このことに対しては様々な意見があります。知っています。この10ヶ月間、自分から積極的にこの話を様々な人としてきたつもりです。
だからこそ、これまで私がこの差別をどんな風に捉え、考えてきたか、お話ししたいと思います。ちゃんと、言葉にしておきたいと思います。
初めてのタンザニア旅行
大学2年の夏、私は友人とタンザニアをバックパッカーとして1ヶ月間旅しました。旅の途中、歩いていると、
「Mchina!(中国人!)」
と声をかけられることが度々ありました。海外旅行経験はあっても、それまで「中国人!」なんて言われたことがなかったので、少し戸惑いましたが、
「確かに日本人と中国人って似てるし、私たちもその人がアフリカのどこの出身かなんて見分けつかないもんな〜」ぐらいにしか思っていませんでした。
ダルエスサラーム大学へ留学
10ヶ月前、私の留学は始まりました。私は町を歩いて見て回ることが好きなので、留学当初からよく一人で出かけていました。町を歩いていると、こんな声が聞こえてきます。
「ムチナ!(中国人!)」
「チナ!(中国!)」
「ニーハオ!」
「フンハ!(おそらくカンフーのマネ)」
「(半笑いで中国語のマネをしている)」
アフリカ大陸への進出をぐんぐん進めている中国。タンザニアにも大勢の中国人労働者がいます。アジア人のほとんどは中国人だと言っても過言ではないくらい。すると、見た目の似ている私たちアジア人は彼らにとってみーんな「中国人」になってしまうのです。
しかし、留学が始まり立てでワクワクしている私は、中国人だと間違われていることよりも、どんな言葉であれ、みんなが話しかけてきてくれることに喜びを感じていました。
同じことが繰り返される
留学開始後1ヶ月もすると、私はどんどん「中国人」と間違えられることがめんどくさくなってきました。と同時に、そのことにイライラするようになってきたのです。
町を歩く時だけでなく、大学内で知らない人とすれ違う時も、「中国人」とか「ニーハオ」って言われるし、「どこ出身なの?」とも聞かず、いきなり「中国語を教えてよ!」とか「中国に連れてってよ!」とか言ってくる。
その度に「私は中国人じゃなくて日本人だよ」と言わないといけなくて、1日に10回も20回もそんなことをしていると、さすがにその会話に疲れてくるのです。
自分に余裕がある時はまだいいのですが、疲れていたり、少しでもイライラしたりしている時にそれを言われると、もうほんっとに腹が立って、聞こえないように舌打ちしまくってました(笑)
スワヒリ語に慣れてくると、楽しい会話ができるようになると同時に、聞きたくないような会話まで聞こえるようになってしまいます。
後ろを歩いている人たちが、「この中国人、タンザニア人みたいな服装してるね」と言っていたり、中国語のマネをしたりしているのが、嫌という程鮮明に聞こえるようになってくる。
その度に「私は日本人だよ!」と言って、そしたら、「君たちは似てるからね」とか「どうして君たちは似てるの?」とか言ってくるのです。知らねーわそんなの!!
似てるからって中国人だって決めつけていいわけ?まずは、どこ出身ですか?って聞くのが筋でしょーが!
どうして嫌なんだろう?
私は中国人と呼ばれることについて、ちゃんと考えてみることにしました。私はどうして中国人と呼ばれるのが嫌なのか。
私は日本人で、中国人ではないから。もちろんそれは1つの理由です。
でも、なんとなく自分の中で、「あのマナーの悪い中国人ではなくて、私はスワヒリ語も喋れる君たちに寄り添っている日本人ですよ」みたいな気持ちがあるような、ないような。
え、だとしたら、私も中国人を差別してないか?いや、自分のアイデンティティを守るために怒ってるだけなのか?
なぜ彼らはアジア人をみんな中国人と決めつけて呼ぶのだろう?
自分の気持ちだけではなく、タンザニア人たちの立場になって考えてみよう。
日本という国をそもそも知らないのかな?いや、そんなことはない。「日本人だよ。」って訂正したらちゃんと分かってくれるもん。
ただ単に構って欲しいだけで悪意はないのかな。悪意がないなら、それが無知から来るものなら、私がどんなに嫌な思いをしていたとしても、彼らを責めることはできないのかな?
嫌な思いをしている人がいるのに、「知らなかったです」って言ったら許されるものなの?例えば教育水準が低いことが無知の原因だったとして、貧しさがさらにその原因だとするなら、彼らに罪はないのですか?貧しい人は差別をしてもいいの?
自分は日本でどうだっただろう?
スワヒリ語を学ぶまでは、「タンザニア人」ではなく、「アフリカ人」としてアフリカで暮らす人達を一括りにして見てた。
お笑い芸人が中国人のマネするの見て笑ってた。中国人見たら「中国人ってさ〜」って何も考えずに近くで話してた。
あの人たちが日本語分からない前提で色々言ってたけど、もしかしたら日本語知ってたのかもしれないな。傷つけてたのかもしれないな。
やばい、私もタンザニア人とかわらないことしてるじゃん。
もう、いいや、、
この辺りまで考えると、私は頭が痛くなってきました。考えれば考えるほど、どんな風にこのことと向き合えばいいのか分からなくなるし、タンザニア在住の日本人の方たちにどうしているのか聞いてみると、大概の対策法は、「無視」。
「いちいち気にしていたらキリがないから、気にしない方がいいよ。」そんな声が多く聞かれました。
私もだんだんそんな風に思えてきて、「気にしないようにしよう、もうあきらめよう、考えない方が楽だ。」そう思うようになっていきました。
ケニア旅行
3月、私はケニアに旅行に行きました。ケニア人たちも私を中国人だと決めつけて声をかけてくることが多かったのと同時に、ケニアでは、「チンチョンチャン」という中国人差別用語を多くの人が私に向かって言ってきました。
少し歩けば道から「チンチョン」バスから「チンチョン」お店から「チンチョン」
多い日だと大袈裟じゃなくて、100回ぐらいは言われていたと思います。このチンチョン猛攻撃によって、私はもう一度中国人差別と向き合うようになります。
やっぱり、おかしい。
教育が足りていない、それが差別用語だと分からないで使ってることもある、ただ構って欲しいだけ、、、
それでも、差別は差別だよね?
チンチョンチャンという差別用語に限らず、日本人や韓国人など他にもアジア人がいることが分かっていて、「中国人」って決めつけて呼んでくるって、それ自体すごく失礼なことだよね?
私も日本でたくさんの外国人を傷つけていたかもしれない、私も「差別する側」だったかもしれない、だけど、だからって、「差別される側」になっても仕方ないっていう諦めは、必要ないよね?
おかしい、やっぱり、おかしい!
他の国ではどうだろう?
私は、タンザニアとケニアにおける中国人差別、さらに、ツイッターで見ているアフリカ界隈の人たちの中国人差別に関する実情しか知りませんでした。
そこで私は、インスタグラムのアンケートを利用して、留学中の友人や知り合いに、中国人差別またはアジア人差別を受けたことがあるかを聞いてみました。
すると、アフリカに限らず、アメリカやヨーロッパなど様々な国で暮らす人達から、そういった差別を受けたことがある、という回答が得られました。もちろん、差別されていると感じたことがないと答えた人もいました。
つまり、中国人差別、アジア人差別は、アフリカだけでなく、世界中に存在するのです。
どうして中国人が差別されるんだろう?
タンザニアでよく聞かれるのは、「中国人たちは英語もスワヒリ語もしゃべれないんだ」という声。実際、語学を十分に学んでいないのに、中国からアフリカに働きに来ている人は多く、現地の言葉も英語も全く話せないという人がいることは事実です。それはタンザニア人が中国人たちをバカにする一つの原因となっているでしょう。
そして、中国人たちがアフリカのビジネスやインフラ整備などに関わる時、現地の人を雇用しないことが多いことも事実。それを、「俺たちの雇用が奪われている」と捉える人もいます。その中国という国家に対する不満や嫌悪感が、個人に向けられることがある。
中国人たち自身は声を上げているんだろうか?
人口が多くて、差別に直面している人も多いし、差別がいけないことだなんて、みんな分かっているのに、どうしてこの差別は見過ごされているんだろう?中国人が中国人って呼ばれてもそんなに嫌じゃないのかもしれないけど、「チンチョンチャン」は明らかに差別用語だし、明らかに悪意を持って言ってきてる人も間違いなくいるよね、、アフリカ人に「ブラックモンキー」って言ってるのと一緒だよ??
日本人である私がこの差別に関して声をあげるとすればどんな方法があるんだろう?そもそも、これは中国人に対する差別なのか、アジア人全般に対する差別なのかどっち?
半年前の私
半年前の私は、当時の記事をこんな風にまとめていました。
世界には、さまざまな種類の差別があります。白人から黒人、黒人からアジア人、アジア人からアジア人のように、肌の色や国籍に関する差別。LGBTや障がい者など、マイノリティに対する差別。
悪意のある差別もあれば、無意識の差別もあります。
誰もが「差別される側」になる可能性があり、誰もが「差別する側」になる可能性がある。
私はこれまで日本で生活していて、差別をされていると感じたことがありませんでした。きっとずっと、無意識に差別する側でした。
でも、タンザニアに来て、外国人になって、マイノリティになって、差別を経験しました。差別される側になって初めて、私はこのことを深く考えるようになりました。でも、今の私にはまだ、このこととどう向き合うべきなのか、答えが見つかっていません。
半年後、今の私
さて、あの記事を書いてから、はや半年。その後も私は本気で何かムーブメントを起こしてやろうと画策したりしていた時もあったし、私は言語学をやっているので、スワヒリ語における「呼称」について調べてみたりしたこともありました。
今、私は「中国人」と呼ばれた時、どんな風に対応しているでしょう。
正直に言いますね。慣れ過ぎてしまったんです。中国人と呼ばれることに。いちいち感じていたあのイライラも、憤りも全部綺麗に静まってしまいました。
中国人だと間違われていたら、訂正はします。でも、前みたいにお説教したり、なんでその言葉を選んだのか聞いてみたりすることはなくなりました。
慣れって怖いですね。こうやって、みんなが慣れて諦めて、この差別はなくならないのでしょうか。
ただ一つ、どんなに慣れても、日本に帰国して私がマジョリティになっても、忘れたくないのは、自分も差別の加害者であり得るということです。
差別が悪いことだって、みんな知ってます。だから、自分は差別なんかしてません。ってみんな思ってる。でも、よくよく考えてみてください。
ありますよね。目の前にいる人の話も聞かずに、外見だけでなにかを決めつけてしまうこと。よく知らないのに、自分のイメージだけで物事を判断してしまうこと。
みーんなあります。誰だってあります。そこが人間の愚かなところなんです。でも、自分が差別してしまっていたことに気づくことで、その差別は一つなくなるでしょう。だって差別がいけないことだって、みんな知っているから。
差別をなくすことの第一歩は、自分が「差別する側」かもしれないということを自覚すること。日本に帰っても、この意識をちゃんと持っているようにしたいです。
そして、世界の差別についてまで考えてしまうような機会を与えてくれたこのタンザニアという国に感謝したいと思います。嫌な思いもたくさんしたけれど、悪い人ばかりじゃないこと、知ってます。
私に代わって「この子は中国人じゃなくて日本人だよ!むしろスワヒリ人だよ!」って言ってくれたタンザニア人もいっぱいいました。だから私はタンザニア人のこと、そこそこ好きです。大好きとは言わないけど。笑
アサンテ!タンザニア!
追記: 私はこの記事で「差別」という言葉を選択的に使っています。いろんな意見があると思います。聞かせてください。話しましょう。ディスカッションしたいです!
タンザニアトップの大学に留学して私が感じたこと。
こんにちは!ルナです!
私のタンザニア生活もあと1週間ほどで終わってしまいます。
今回は、10ヶ月半タンザニアで「留学生」として生活した私がどんなことを感じたのか、書いていきたいと思います!
この留学期間で、考えたことや感じたことはたーくさんあるので、以下について、順番に話していきたいと思います。
目次
- 楽しかったこと
- 辛かったこと、しんどかったこと
- ギャップを感じたこと
- 留学して良かったと感じたこと
- これからダルエスサラーム大学に留学する人たちへ
楽しかったこと
この留学で私が一番楽しいと感じていたのは、スワヒリ語を話している時や、教科書では習わなかった表現に出会った時です。
私は日本の大学でスワヒリ語を専攻していて、留学に来るまでにスワヒリ語を2年半も勉強していました。文法は網羅していたし、単語もいっぱい知っていたけど、やはり頭で理解するのと、口から言葉にして出すのとは全く違っていて、留学初期は言葉に本当に苦しみました。
仲良くなりたいし、相手のことを知りたいのに、言ってることが分からない、自分の言いたいことが伝えられないというのは、かなりもどかしいものでした。
でも、スワヒリ語が公用語であり、タンザニア人のほとんどがスワヒリ語を話せるという、多民族国家が多いアフリカではかなり稀な言語状況にあるこの国で暮らしていく中で、スワヒリ語力は勝手に上がっていったように思います。
だってじゃないと生活できないから。英語が得意でない人も多いこの国では、スワヒリ語を話せるということは外国人にとって本当にプラスになることだなと感じました。
そして、ただスワヒリ語を使うのではなく、言語学的な観点から、スワヒリ語の面白さや奥深さを感じれたこと、教科書には載っていない、生きている言語を感じられたことも、私にとってはものすごく大きな収穫となりました。
スワヒリ語のコミュニケーションにおいて、何よりも一番大切なことは、「挨拶」です。日本語なら、こんにちはの1往復で終わってしまいますが、タンザニア人は、2、3往復は当たり前。握手をしながら長ーい挨拶をします。目上の人には、ちゃんと敬意を示す挨拶をします。道ですれ違っただけの人でも目が合えば挨拶をします。
用もないのに電話をかけてきて、今何をしているのか、どこにいるのか聞いてきます。家を出るときは「どこにいくの?」と聞かれ、家に帰ってきたら「どこに行ってたの?」と聞かれます。
最初はこの長ーい挨拶も、大して意味のない会話も、嫌で嫌で仕方ありませんでした。なんでそんなに私のことベラベラしゃべらないといけないの?って思ってました。でも、これに慣れてくると、このやり取りは心地よくなってくるのです。全然知らない人なのに、目があったらなんとなく挨拶しちゃう。
このように、コミュニケーションをしている時や、冗談言って手を叩いて笑っている時が、私にとって一番楽しかった時間でした。
辛かったこと、しんどかったこと
一番辛かったのは、私が「外国人」でしかないという現実です。
このブログのタイトルにもあるように、タンザニア人と友達になりたい!利害関係など一切ない関係を彼らと築きたい!という思いから、私はタンザニアに留学しにきました。
そんな私は留学当初、タンザニア人になることを望みました。現地の学生と同じ寮に住み、現地の人が来ている服を着て、歩き方や立ち方をマネしてみたりして。もちろんスワヒリ語も同じように喋れるようにがんばりました。
でも、どんなに見た目を寄せても、同じ言葉を話しても、私は「外国人=ムズング」でしかなかったのです。彼らは、外国人はみーんなお金を持っていると思っています。ただの学生である私でさえもです。私に求婚してくる男の人が欲しいのは、私自身ではなく、その後ろにあるお金であることがほとんど。
このタンザニア人にお金に対する感覚をなかなか受け入れられず、そのことを重く重く捉えてしまった私は、正直に言って、うまくタンザニア人と関わることができませんでした。よっ友はたくさんいたし、連絡先も50件以上交換したけど、なんでも話せちゃうような友達も、恋人も結局できませんでした。
もっと軽く考えればいいんだよ!という言葉をたくさんいただきましたが、これを軽く考えられないのが私という人間でして、ここの合わなさは今私が「タンザニア人と仕事をするのはちょっとな〜」と思っている原因だと思います。
ギャップがあったこと
- 良いギャップ
思っていたより意外と大変じゃなかったな〜と思うことは、「不便さ」です。大学の寮で暮らしていた私は、断水や停電を頻繁に経験しました。一番ひどい時だと、半月間蛇口から水が出なかったこともあります。
しかし、これは予想ができる不便なのです。水が頻繁に止まるのだと分かっているならバケツに水を汲んで常備しておけばいい。3日ぐらいはそれで生活できます。その水がなくなって初めて不便なんです。その頃には、一瞬だけでも水が出たり、給水車が来たり、なんだかんだ水が手に入る方法がある。
バスに時刻表がなく、いつ来るか分からない、いつ着くか分からない状況だって、分からないことが分かっているから、いくらでも備えができるわけです。
予測できる不便はもはや不便ではなかったので、あまりそこにストレスは感じないようになりました。
これは都会のダルエスサラームだからかもしれませんが、物も大概手に入ります。本当に買えないのは日本食くらいで、私がタンザニアに来る前は売っていないと思っていた、洗濯バサミも、電池も、爪切りも、カラダ洗うタオルも、ヘアアイロンだって、買えちゃうんです。これはいいギャップでした。
- 悪いギャップ
思っていたより状況が悪かったのは、大学の授業やシステムです。タンザニアトップの大学に留学した私は、日本の東大に留学したつもりでした。貧困層に目が行きがちなアフリカで、その国のトップレベルの学生が集う大学で、彼らの話を聞き、同じ授業を取ってみたかった。
しかし、フタを開けてみれば、何年もあるはずの授業登録のシステムは全然機能してないし、プリントが配られないので、学生はずーっとノートに先生が言ったことを書き写してるし、休講メールはないわ、先生は1時間の授業に10分遅れてきて10分早く終わるわ、テストの時の物の持ち込みには無駄に厳しいわ、、もーーーー!なんじゃこの大学は!!!って感じでした。笑
変に高みを目指して来てしまった私にとっては、この落差はあまりにもショックで、どうしていいのかわかりませんでした。一度踏ん切りがついてからは、期待しないことと、逃げることを選択できるようになることで、そのストレスを感じないようになれました。
留学して良かったこと
1つ目は、暇だったことです。
日本にいるときは、バイトして授業いって飲み会行って遊んで、またバイトして、ずっと何かの予定に追われていました。一週間後の予定が決まっていないことなんてまぁなかった。それは充実しているようで、淡々と流れていっているだけの毎日だったように感じます。
しかし、タンザニアに来てみると、バイトも出来ないし夜は出歩けないし、大して遊びに行く場所もない。必然的に、ぐーっと考える時間、自分と向き合う時間が増えました。何か困難や嫌なことに対峙したとき、それがどうして嫌なのか、その困難から逃げてもいいのか、向き合うべきなのか、ちゃんと考えて選択することができるようになりました。
なんとなくでやることがなくなったことで、ちゃんと自分の意見が持てるようになりました。そして、私の意見を言うことは、人の意見を聞かせてもらうことにも繋がりました。どこか流されながら生きていた私に、夢ができて、卒業後やってみたいと思えることが見つかったのです。
2つ目は、日本人との出会い。
タンザニア人との関係には苦労しましたが、日本人に関しては本当にたくさんの出会いに恵まれました。タンザニアという地で、自分が好きだな、楽しいなと思う気持ちに従い、それを仕事にしている人にたくさん出会いました。それがかっこよくて仕方なかった。こんな生き方をしたい、してもいいんだなって思いました。
そして、同世代の学生たちも。アフリカに興味を持つような学生なんて全然いないと思っていたし、なんなら自分の所属する専攻以外にはいないんじゃないかぐらいに思っていたけど、意外といたんです。アフリカを舞台に何かやってやろうとしてる学生が。
かなり高確率で気の合う人ばかりで、日本にいたら、10人出会って1人か2人気の合う人がいれば良いところだけど、タンザニアでは10人会えば8人とは気が合った。日本に帰ってもまた絶対会おうねと、社交辞令なしで言える人、またアフリカで会えたら面白いねって言い合える人たちにたくさん出会いました。それは、「アフリカ学生会」というコミュニティの立ち上げにも繋がりました。
これからダルエスサラーム大学に留学する人たちへ
さて、これは、特にスワヒリ語専攻の後輩たちへ。なんなら一年半前にダルエスサラーム大学への留学を決めた私に言ってあげたいメッセージです。
まずは、選択肢を広げましょう。スワヒリ語専攻が留学できる大学はダルエスサラーム大学だけではありません。どうせ提携してないし交換留学でもないんだから、ダル大にこだわる必要はどこにもない。留学にこだわる必要もありません。ボランティアもインターンもあります。お金がそんなになくても海外に住めるシステムはあるし、奨学金も色々あります。
ただ、スワヒリ語をちゃんとやりたいなら絶対タンザニアがいいです。スワヒリ語が公用語になっている他の国々も回りましたが、やはりこの国がスワヒリ語においては最強の学びの場になることは間違いない。
そして、アフリカで留学生という立場を取るのもなかなかいい選択です。行きたい時に旅行に行けるし、自由だし、後ろ盾がない分、逆にたくさんの大人の本音の話が聞けます。留学生でこんなに社会人と交流させてもらえるのも、アフリカにいる日本人という狭いコミュニティの中だからこそですよ。
そして、選択肢を広げた上でダルエスサラーム大学を選んだ人!ここに本気で学びに来ようとすると、たぶんがっかりしちゃいます。真面目にやろうとしても疲れちゃってしんどいので、ある程度要領よくやってみましょう。本当に嫌なことはやめていいです。その代わり、空いた時間で、あなたのやりたいことがきっと見つかるはず。
以上!タンザニアのトップ大学に留学した私の感想まとめでした!長いのに読んでくれてありがとうございましたー!
タンザン鉄道でダルエスサラームからザンビアへ!
こんにちは!ルナです!
今回はタンザニアとザンビアを結ぶ国際鉄道の旅を振り返りたいと思います!
タンザン鉄道のチケットは、ダルエスサラーム駅窓口で直接購入する必要があります。窓口は月曜から金曜の7:30から17:00まで空いています。
早めにチケットを購入しないと1等のチケットがなくなってしまうことが多いので、出来るだけ早く購入することをオススメします!
ちなみに私は3週間前に購入しました(笑)まぁダルに住んでますからね(笑)
チケットはこんなに小さいです。ここに日付と部屋が書いてあります。
列車は種類が2つありまして、急行は金曜の15:50発、普通は火曜の13:50発となっています!私は急行に乗りましたが、こちらの方が列車も新しく、一等は各部屋にコンセントが2つずつ付いていたりして、とても快適だったのでオススメ!
急行と普通となっていますが、どっちにしろ遅れるので、「急行の方が早く着くかも!」とかいう期待はしない方がいいです(笑)
料金はダルエスサラームからニューカピリムポシまでで、一等104,000シリング(約5200円)でした!!2019年6月時点では現金払いしか出来なかったのでお気をつけください!
タンザン鉄道はとにかく「遅れる」ことで有名。
発車が遅れたり、そもそも予定の発車日に発車しなかったこともあると聞いていたのでビクビクでした。
しかし、私は運のいいことに発車予定時刻ぴったりに電車が動き出しました!!(まぁ運が良かったのは発車がぴったりだったことだけなんだけど、、)
一等部屋は、ベットが4つ付いています。私が部屋に着いた時には下の段のベットを大きなおばさまたちが先にとっておられましたので、私は上のベットへ。笑
上り下りがちょっと面倒ですが、ベットの寝心地は何も問題ありませんでした!!
それでは少し車内を散策。
洗面台。歯磨きとかも出来ますが、水が出るときと出ない時があるので注意です。
こちらはトイレ。トイレットペーパーはなく、バケツの水で自分で流すタイプのやつです。シャワーヘッドもついてますけど、誰も使いません。つまり、この旅は風呂なしです!!!
1つの車両に部屋がいくつか並んでいます。
窓から顔を出すと、とても気持ちいい風が吹きます。この日は夕焼けもとってもきれいに見えました。
こちらが食堂車。ここは一等と二等のお客さんしか使えないので、人が少なくて快適です。
ご飯はごはんと牛肉の組み合わせで4500シリング(国境を超えたら20クワチャ)。
他にもタンザニア人の国民食チップスマヤイや、ウガリ、鶏肉もありました!私はめっちゃ美味しいな〜って思って食べたんですが、まずかったと言ってた人もいたので、運試しです。笑笑
ちなみに朝食もこの食堂車で有料で食べられますよ!
ただドリンクとかは比較的高いので、乗る前にまとめて買っておくのがオススメ。あと、朝晩びっくりするくらい冷え込むので、暖かくできる服を持って行った方がいいです!
順調に列車は進み、土曜日の夜にタンザニアとザンビアの国境に着きました。
イミグレ職員が各部屋を回ってきてくれるので、部屋の中で待っていればおっけー!私はベットの上にいたままで大丈夫でした。笑
私はジンバブエに一旦行って、ザンビアに戻る予定なのでダブルビザを購入(80ドル)。シングルは50ドル。お得なKAZAビザ/UNIビザはタンザン鉄道では買えませんので注意!
両替も両替商が部屋を回ってきます。私は普通のレートで替えてもらえました!
そして私は再び眠りにつきました、、、
(寝ながら)あれ?なんか電車動いてねぇなあ、、まぁ、そのうち動くだろう、、zzz
翌朝
動いてない!!!
なんと、昨日の深夜から約8時間鉄道は止まりっぱなしだったようです、、、
マップを確認するとまだ国境付近。
いやぁ、さすがタンザン鉄道ですね。笑笑
驚くことに結局鉄道が動き出したのは昼過ぎ。その間なんのアナウンスもないのでただただぼーっとしたり、音楽を聞いたり、景色を眺めたりして過ごしていました。
その後も電車はゆっくり進みます。
二泊三日の予定だった鉄道旅は、三泊四日になってしまいました。笑
そしてついに!月曜日の12時ごろ!
鉄道はザンビアのニューカピリムポシに到着しました!!
結局27時間遅れました!!!
えぐいよタンザン鉄道!!
でもアフリカの列車旅なんてなかなか経験できないし、オフラインの環境で色々考えを巡らせたり、時間を気にせずに過ごせたりして、とてもいい時間でした!!
ここからは乗合バスで約3時間かけて首都ルサカに向かいます!!
では。
イネマアートセンター・虐殺記念館
こんにちは!実は帰国まであと1ヶ月を切っておりますルナです!10ヶ月半もあったはずの長い長い留学が終わろうとしております!
今回は、ルワンダのキガリに来たなら誰もが行く人気観光スポットをご紹介!
その1 イネマアートセンター
様々なアーティストさんの作品が飾られている小さなギャラリー!あるブログの情報では、キガリNo.2の観光スポットなんだとか!
意外と狭めなのでゆーっくり見て回りましょう!入場は無料です!
写真映えする作品がいっぱい!でも中の絵画作品は写真撮影禁止だったので注意が必要です!
その2 虐殺記念館
ルワンダに来る人は必ず押さえておくべき虐殺の歴史。この施設も入場無料で、入り口と出口のところにチップボックスが置かれています。
まずは資料映像を見て、それから展示を見ていきます。基本的には展示されている文章を読んで、虐殺の歴史を時系列順に追っていく、という感じです。ルワンダ語とフランス語と英語で書かれています。
ルワンダ虐殺は、たった25年前のこと。今、キガリで暮らしている多くの人々が虐殺の経験者である、ということになります。目の前のこのおばちゃんは、おじちゃんは、その惨事を目の当たりにしたんだなと思うと、胸が張り裂けそうになりました。
キガリの中心地、高級住宅街エリアは特に、道路が舗装され、ゴミも本当に落ちていなくて、静かで、落ち着いていて、治安も良くて、まさかたった25年前にそんな歴史があったなんて、誰も想像ができないくらい、発展している印象を受けます。そんなルワンダも、25年前のあの時には何百何千と死体が転がっている場所だった。
ルワンダ虐殺は、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害されたジェノサイドです。戦争とは違い、この恐ろしいところは、昨日までお隣さんだった人が、突然自分や自分の家族を殺しに来る、ということがありえたこと。そして、自分の家族を殺したそのお隣さんと、これからも生きていかなければならない、ということです。
残酷すぎるなと思いました。「人を信じることが難しくなった。」そんなこともインタビューでは語られていました。
さっきも言いましたが、キガリってめちゃくちゃ素敵な場所なんです。本当に、日本人みんなが行きやすい、とても素敵な場所。でも、どんなに発展していても、やっぱり忘れちゃいけないよなって思いました。
今は、ルワンダで「ツチ」とか「フツ」という言葉を口にすること(日本語を話していても)さえもタブー化しています。多民族国家の多いアフリカでは、「どの民族なの?」と質問することが多いのですが、ルワンダではしないようにしましょう。
残酷な歴史を繰り返さないために、歴史から学ばなければならない。日本における戦争だってそうです。ルワンダで起こった虐殺のようなことが、もう世界のどこでも起こらないようにするために、私たちは学ばなければならないのだなと感じました。
ルワンダ・キガリのプチ観光情報
こんにちは〜!長らく更新を大サボりしておりました〜!ルナです!
実はめちゃくちゃ忙しくて書く暇全然なかったんです、、とか言いたいんですけど単純にサボってただけでーす(ペコリ)
さぁ〜!頭をルワンダに戻しましょう!(自分に言い聞かせてる)今日はキガリのプチ観光情報をご紹介していきますよ!メインの観光地である、虐殺記念館やイネマアートセンターは次の記事で!
☆お土産情報
キガリ滞在中の5日間、結構色んなところを見て周ったつもりなのですが、キガリのお土産処は意外と少ないです!
その1 キミロンコマーケット
ここはキガリで一番有名なマーケット!ここに来れば野菜から服から雑貨からお土産まで、なーんでも揃っちゃいます!
写真はお土産ゾーンの様子。天井が付いていてちょっと暗いので、アフリカのよくある青空市場とはまた違った雰囲気が楽しめると思います!
歩いていると、「ようこそ〜」とか「こんにちは〜」とか日本語で話しかけてくれたりもしますし、
ルワンダ語でAmakuru?(元気?)と聞かれて、Ni meza (元気だよ!)と答えるととっても喜んでくれますよ!
ただね〜、私的にここに売ってるお土産系の商品はちょっと微妙だったかな〜、、好き嫌いはあると思うし、雰囲気はとても良いので、行って確かめてみるべし!
でも、ここで売られているアフリカ布は、デザインがとても可愛いものが本当に多かったです!その点では超オススメ!
その2 キガリハイツ
数年前に出来上がったばかりのオフィスビル兼ショッピングセンター!建物の外観はとっても綺麗なのでワクワクしちゃいますよね!
でも残念ながらここも実際見るところはあまりない、、強いて言うなら大きなスーパーが入ってるので、そこでお菓子やお酒などのお土産を買うといいかも!
その3 キガリハイツからちょっと歩いたところにある、お店4軒!
いきなり情報が曖昧で大変申し訳ないです(笑)でも、正直このお店たちが一番良かったので、どうしても紹介したかった!
キガリハイツに背中を向けると目の前に同じくらい大きな建物があります。そこに向かって左側の道を少し下っていくと、アパートみたいな建物の一階部分を小さなショップが並んでいるのが見えてくるかと思います!そこです!
キミロンコマーケットよりはだいぶお値段が張りますが、ルワンダのオシャレ雑貨を買いたいなら間違いなくここに来るべきだと思います!
商品数はそんなに多くないですが、アフリカ布を上手に使ったカバンやポーチなどがたくさん売られています!
こちらは私がこれらのお店で購入した商品たち!可愛いし日本でも使えちゃいそうですよね!!
☆レストラン・カフェ情報
日本人旅行者さんは、KISEKIに泊まることが多いのかなぁと思います!KISEKIの中に周辺のレストラン情報をまとめたマップを貼ってくれていますので、それを要チェック!
写真が暗いよ〜ごめんなさい!
私が行ったところでオススメだったのは、、
まずはキガリアートカフェ!
とにかく何と言っても店内がめちゃくちゃ可愛くて気分が上がる!キガリの高級住宅街エリアにあるのでとっても静かだし、長居しても何も言われなかったので、作業をするのにもおススメですよ〜!
そして、ホテルミルコリンズ!
ここは、映画「ホテルルワンダ」の舞台にもなった有名なホテル。ルワンダ虐殺が起きていた当時、このホテルに多くの人が隠れていたんだとか。
その歴史が感じられるのかなぁ〜なんて思って行ってみましたが、正直そんな面影は一切なく、今は高級ホテルとして多くの外国人に利用されています!
レストランは宿泊していなくても利用できるとのことだったので、入ってみることに。
プールが見えるレストラン。この日は、バンドの生演奏もされていました!
私はチキンカレーを注文!(9000フラン、約990円)これでも安い方だったので、お値段はちょっと高めです、、
でも映画を見たことのある人なら一度は足を運んでみたいですよね!
てな感じで、以上!キガリのプチ観光情報でした!!
では。
祝!1万アクセス突破!〜私がこのブログを書く想い〜
Mambo!
こんにちは!ルナです!
昨年末から始めました「スワヒリ娘のダル大留学奮闘記〜タンザニア人とrafikiになりたい〜」がついに1万アクセスを突破いたしました〜!!いぇいいぇい!!
友達がめっちゃ多いわけでもないし、タンザニアに留学する人なんて全然いないので、検索に引っかかりやすいわけでもないのに1万アクセス!ツイッターやインスタグラムで告知しているページから見に来てくださっている皆さんのおかげです!
このブログを始めてから7ヶ月弱経ちますが、そんなに話したことのない人から「ルナちゃんのブログいつも読んでるよ〜」って言ってもらえたり、「考えさせられることが多くて友達にもオススメしてるよ!」なんて言うめちゃくちゃ嬉しい言葉をもらえたり、私が書き続けるモチベーションはいつも読者の皆さんから頂いております!
初めてタンザニアで会う日本人の方からも「ブログ読みました〜」とか言ってもらえるので、まさにこのブログは今の私の名刺代わりのような感じですね!
ということで、今回は、私がこのブログを書く想いと題しまして、私のこのブログとの向き合い方を書きたいと思います!
このブログを始めるにあたり、私はめちゃくちゃ葛藤しました。
アフリカに関する情報は、まだまだ少なく、普通に暮らしていては、アフリカに触れる機会がない人がほとんどだと思います。
そして、私がこのブログを特に読んでほしかったのは、不特定多数の大勢の人でも、アフリカ好きの人でもなく、日本にいる私の友達や家族でした。まずは、私の周りの人に、タンザニアってこんな所なんだよ〜ってことを知ってほしかったのです。
でも、正直ちょっと怖かった。
アフリカのことをあまり知らない人たちが私のブログを読んだ時、私が書くこの文章から伝わるイメージが、その人たちにとってのアフリカのイメージになることが怖かったのです。
私が留学に行く時、みんなに言われました。
「生きて帰ってきてね。」
「ちゃんと食べるものとかあるの?!」
「大学とかあるんだ。」
危険、紛争、サバンナ、病気、未開、、、アフリカが持つステレオタイプの多くは、アフリカに関する情報が少ない中で、メディアが発信している一部の偏った情報によって作り上げられているものではないかと私は考えています。
このブログも1つのメディアです。
私が書いた文章によって皆がアフリカに対して抱くイメージが変わる。これは、嬉しいことでもあり、ちょっと怖いことでもありました。
私が書く文章は、50以上あるアフリカの国の1つの、タンザニアの大学で暮らした経験を、あくまで私の目線から見て書いているものだということがちゃんと伝わるだろうか?
アフリカを一括りにしてしまわれないだろうか?私がポジティブなことを書けば、「意外とアフリカって貧しくないんだな」とか思われて、募金する人が減ったりしないだろうか、、私がネガティブなことを書けば、またこのアフリカから日本人を遠ざけてしまわないだろうか、、
迷いました。
でもね、書かなかったら、伝えなかったら、いつまでたって情報は少ないままなんですよ。事実、アフリカに留学してる人はほんの一握りで、私がタンザニアに留学したいって思っても、ほとんど情報はなかったです。
私の書く文章が、少しでもアフリカに関する情報量の足しになればいい。これをキッカケに、もっと色んなことを調べたいと思う人が出てきてくれたら嬉しいな。ここに来たいと思い、実際に来てくれる人が少しでも増えれば嬉しいな。そんな思いで、ブログを書くことに決めました。
もちろん、皆にアフリカを好きになってほしい!という思いがあるので、私が楽しかったことだけを書きたいという思いもあるのですが、このブログでは、自分が嫌だったことやイライラしたことも積極的に書いてきました。
だから、私の文章を鵜呑みにしないでください。私がイライラすることが、あなたがイライラすることだとは限らないでしょ?
他の人の経験談も見てみてください。同じ物事でも、人によって捉え方が全く異なります。
実際に来てみてください。百聞は一見にしかずです。文字では伝えられないことがあまりにも多すぎる。日本人が普通に訪れられるアフリカの国って結構ありますよ?
そして、このブログは、私にとってもとても大切なものです。
ちゃんと自分の中で書きたいことを整理して、文章にして、写真選んで、ちょっと面白くして、、「書く」って作業は意外と大変です。自分の生活を赤裸々に話すというのは結構照れ臭いです。
でも、書くことでイライラを昇華できたり、あの時の繊細な心の動きを残しておけたり。
書いてて良かったなぁ〜と今は思っています。たぶん帰国してからもお酒飲みながら何回も読み直します。笑
このブログは、私が帰国したら終了する予定です。私が伝えたかったのは、「今」のタンザニアであり、「今」の私の感情だから。
あと1ヶ月半、東アフリカ旅ブログと同時に、留学のまとめ記事など書いていきたいと思いますので、どうか皆様お付き合いください!!
では。