スワヒリ娘のダル大留学奮闘記〜タンザニア人と“rafiki”になりたい!〜

スワヒリ語を学んでいる女子大生がタンザニアのダルエスサラーム大学に留学。リアルなタンザニアライフを綴る留学奮闘記。

アフリカ留学の醍醐味は面白い日本人と知り合えることではないか。

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こんにちは!ルナです!

 

今回は備忘録的ブログ、題して、、

 

「アフリカ留学の醍醐味は面白い日本人と知り合えることではないか。」

 

最近では、期間に差はありますが、大学生で留学をしたり、休学して海外経験を積む人が多くなってきているように思います。

 

私たち日本人は、義務教育で英語を勉強してきているため、英語圏への留学をする人がほとんどです。

 

しかーし!まだまだアフリカに来る日本人が少ないからこそ、こんな良いことがあったりもする、、

 

今回は、タンザニアのダルエスサラーム大学に8ヶ月間留学し、現在東アフリカ旅行中の私から、アフリカ留学の醍醐味の1つをご紹介したいと思います。

 

「アフリカ留学」と言っても、アフリカには54カ国もの国があるので、国によって事情が違うことは、大前提とした上で、私が同じようにアフリカに留学または滞在する学生たちを見ていて思うのは、

 

アフリカに留学すると、超面白い社会人に会う機会がたくさん得られるということ!

 

まず、アフリカにいる社会人さん達が何をしているかというと、大体4つくらいに分けられるかなと思います。

1. 大使館関係者

2. 青年海外協力隊などJICA関係の人

3. 日本企業から派遣されアフリカで働く人

4. アフリカでビジネスを立ち上げている人

 

正直どの人もめちゃくちゃ面白いし、一癖も二癖もある人がほとんどです。まずアフリカに来ようとか、来てもいいかな〜って思う時点で日本の中ではかなり少数派ですからね。笑

 

協力隊の方なんかは、協力隊になった経緯が面白かったり、現地の人とかなり近い距離で生活をしておられることが多いので、生活の話が聞けるのが面白いです。タンザニアにおられる協力隊員さんは、スワヒリ語が堪能な人も多く、地域の人との関わりを大切にされていることがわかります。

 

日本企業から派遣されて働いている人もいます。アフリカに進出している企業というのは、いわゆる大手企業が本当に多くて、そのビックネームにちょっとたじろいでしまうくらい。

 

日本の大学生が大手企業の方とご飯を食べるとか、話を聞くってすごく難しいことだと思うんですが、そもそもその国にいる日本人が少ないと日本人コミュニティがちゃんとあるので、人づてに紹介してもらい、大手企業の方とお話ししたり、ご飯を食べさせていただくことも本当に多い。

 

しかも留学生という立場だと利害関係も発生しないので、結構赤裸々に色んなことを語ってもらえたり、アドバイスをもらえたりします。

 

そして、アフリカでビジネスを立ち上げている人。この人たちは、バイタリティがすごいです、、どの人もそうなんですが、特にビジネスを立ち上げている系の人たちは、「俺/私はここでこれをやってやるんだ!」という意思をしっかり持っている人しかいません!

 

だって嫌ならやめて日本に帰ればいいんですから。笑

 

ここでどうしてもしないといけないことがある、そんな意思を強く感じる人たちばかりで、アフリカ独特の時間感覚や慣習に翻弄されながらも、毎日毎日一歩ずつ進み続けている人たちばかりで、、、

 

私は、アフリカ留学、タンザニア留学をして、仕事というものに対してかなり意識が変わりました。

 

「好きなことを仕事にする」って難しい。そんなことは甘えだ。嫌でも仕事を頑張って、休みの日に楽しく遊ぶため、いい暮らしをするためにお金を稼ぐ。

 

そんなイメージでした。でも、アフリカで働いている社会人の方達は、1つの例外もなく、自分が好きなことや、やりたいことを生業として生きていた。

 

嫌々やってる人なんていないんです。嫌なら帰ればいから(2回目)

 

そういう人ばっかり見ていたら、「自分も好きなこと仕事にしてやろっかな〜」とか思ってくる。そうすると、色んな道が見えてきます。

 

大学三年生になれば就活をして、就職するもんだと思ってました。それが当たり前なんだと。でも、それこそ青年海外協力隊に参加してみたり、自分で何か始めてみたり、旅してみたり、、

 

もっと色んな選択肢があることを知りました。そして、それを選択することがそんなに難しいことではないことも。

 

タンザニアに留学して、沢山のタンザニア人と出会い、関わり、それもとっても素敵な出会いではあったのですが、

 

日本に帰ってもまた会いたいと思えるような日本人に沢山あえたこと、そして、その人たちの話をこんなに近くで聞けたことが、私にとって大きな財産になったなと思うのです。