言語はただのツールか?私なりの結論。
Siku nyingine(スワヒリ語で『いつか』)
こんにちは!ルナです!
私の10ヶ月半の留学生活が今ちょうど折り返しを迎えているということで、
中間報告をしようと思っています。
1. 言語はツールか?
2. タンザニア人とrafiki(友達)にはなれた?
3. 中国人と呼ばれること、差別を受けること
以上の3本立てで書く予定です!
では、今回は一つ目のテーマ「言語はツールか?」ということについて、
私なりの考えを書いていこうと思います。
ツイッターとかを見ていて、世界一周旅行をした人や、海外でビジネスを成功させた人などからよく聞かれる言葉。
「言語(英語)なんて所詮ツールでしかない!」
この言葉に私は、大学入学以来かなり悩まされてきました。
私が所属するのは外国語学部。
そう、言語を学ぶ学部です。
私の大学の場合、それぞれが自分の専攻する言語を持っていて(私の場合はスワヒリ語)、
大学生活を通して、言語の習得をすると同時に、その言語が話される国や地域について学んでいきます。
しかし、「言語なんて所詮ツールだよね」と言われてしまうと、
確かにそうだなぁと、
他のみんなも第二外国語をやるわけだし、
なんなら今の時代、英語をある程度話せれば世界中どこだっていけるし、、、
あれ?私の専門性ってどこにあるんだろう?
言語は話せても、経済のことも、地理のことも、私はそんなに分からないぞ?
てゆーか言葉なんて大学でわざわざやらなくても英会話スクールにでも通えばいいんじゃないの?
と、どんどんネガティヴになっていき、自分のやっていることに自信が持てなくなっていました。
タンザニアに来て、考える時間がいーっぱいあったので、私はこのことについてもたくさん考えました。
結論から言うと、
今の私にとって、言語はただのツールではありません。
私は言語学を学び、ツールとしての言語だけでなく、文法構造や、言葉に反映される話者の認識に対して興味がある。
確かに、大半の人にとって、言語はただのツールでしょう。
旅をするなら、「どこへ行きたい」とか「何を食べたい」とか「安くして?」とかそう言うことを言えればいいんだろうし、
ビジネスをしたって、自分の考えが相手にちゃんと伝われば、それでいいんだと思います。
でもね、
言葉ってすごいんですよ?
外国の経済や歴史や文化を知ろうとするとき、
そこに「人」が関わってくるとき、
その人たちを理解するのに、彼らが日常で使う言語を知ることは、ものすごく大切なことです。
私は、言語には、話者の文化が、生活が表れると思っています。
例えば、日本語には、たくさん敬語の種類がありますよね。
自分と、話す相手との関係によって、
尊敬語、謙譲語、丁寧語などを使い分けないといけない。
これって、日本人の相手を敬う心が表れていると思いませんか?
「おもてなし」英語で訳せますか?
スワヒリ語には、目上の人に対して「Shikamoo」という挨拶があります。
先生やお年寄りには、まずはShikamoo。
これを言うのと言わないのとでは、相手の態度は全然違ってきます。
英語にも、日本語にもない表現です。
今や世界の共通言語は英語だなんて言われるほど、
英語は本当にたくさんの国で学ばれていて、(例外もある)
英語さえ話せれば、どんな国の人とだって意思疎通が測れるのかもしれない。
異なる言語を持つ民族同士がコミュニケーションを取るとき、共通語として何かしらの言語を置かなければいけませんよね。
共通語を得ることは、彼らの生活を豊かにするでしょう。
その一方で、世界中でたくさんの言語が消滅の危機に瀕しています。
1950年以降に消滅したとされる言語は230を超えるとされています。
言葉に文化が反映されるとすれば、それは彼らにとって、一つのアイデンティティとなっているはずです。
そのアイデンティティが一つ、また一つと失われつつある。
それでも言語はただのツールでしょうか?
異なる言語を持つ民族が暮らす一つの国で、どの言語を公用語として用いるかを決めるとき、
どれか特定の民族の言語を選ぶことで、民族同士の対立が起きる可能性があることを私は大学で学びました。
それでも言語はただのツールでしょうか?
たぶん、私は、自分のやってることが否定されてるような気がして、この言い回しが気に入らないんだと思います。色々言ったけど。笑
でもね、言葉って、もっと人の人生に、生活に深く関わるものだと思うんです。
私の留学仲間のいまちゃんは、
タンザニアに来てから、スワヒリ語を勉強し始めました。
彼は、ここへ来てから、ここで「生きるため」に、スワヒリ語が必要なんだと感じたそうです。
今や彼は、スワヒリ語で日常生活が送れるようになっています。
スワヒリ語が話せるようになって、彼の生活は、人間関係は、とても豊かなものになったように見えます。
私も、タンザニアの言語に魅了されたことが留学のきっかけになりました。
私がスワヒリ語を話せると分かった瞬間に「パッと」変わるあの表情に取り憑かれてしまったのです。
長くなりましたが、もう一度結論を言います。
私にとって、言語はただのツールじゃない!
あくまで私にとってね。あなたにとって言語はツールですか?
では。